和歌とカレンダー(旧暦)の楽しみ方


「日本は四季が素晴らしい!」なんてセリフをよく聞きます。
ただその絶賛している四季、みなさん本当に楽しんでいますか?

春の「お花見」、秋の「紅葉狩り」だけでは楽しんでいるうちに入りません。
やはり平安歌人のように…

21「君がため 春の野にいでて 若菜摘む わが衣手に 雪はふりつつ」(孝明天皇)
46「梅が香を 袖にうつして とどめては 春はすぐとも 形見ならまし」(よみ人しらず)
191「白雲に 羽うちかはし 飛ぶ雁の 数さへ見ゆる 秋の夜の月」(よみ人しらず)

花鳥風月、四季折々の移ろいに触れた感動を歌にする、これぞ最高に贅沢な楽しみ方♪
みなさんもぜひやってみましょう!

なんて、安易に言おうものなら…
「コンクリートジャングル」なんて揶揄される無機質な都会に住む私たちに、できっこないじゃん!
と秒速でカウンターパンチを喰らうことでしょう。

この記事の音声配信「第十回 和歌と暦(カレンダー)の深~い関係♪」を
Youtubeで聴く
iTunes Podcastで聴く

やはり私たち現代人は、平安歌人と同じような四季の楽しみ方は出来ないのでしょうか?

いいえ、実は簡単に出来るのです!
ただしそれは「カレンダー」の中の四季ですが…

おっと、期待して損した、なんて嘆かないでくださいね。

カレンダーは平安歌人と繋がる豊かな四季の情報でいっぱいなんです。
それに当の平安歌人だって、実のところカレンダーつまり「暦」に頼って四季を感じ取っていたのですから…

ということで、お手元にカレンダーをご用意ください。
これから、平安時代と同じように四季を楽しむ方法をご案内します。

まずはカレンダーの月(Month)にご注目、睦月、如月、弥生といった文字があると思います。
これはお馴染みですね、そう「旧暦」の月(Month)表記です。

旧暦はご存知の通り、「月の満ち欠け(朔望)」を基準にした暦です。
ちなみに「新月」が「朔」で「満月」が「望」の状態で、この変化を「朔望月」といいます。

ではここで問題です、朔望月(新月→満月→新月)の期間は何日になるでしょうか?

正解は約29.5日です。
ということはですよ、朔望月を12回繰り返しても約354日にしかなりませんよね?
これは太陽暦と比べると3年で約1ヶ月、10年で約3ヶ月の差が生じることになり、夏に桜が咲くといった事態に陥ってしまいます。

しかし、昔の人は愚かではありません。
これを回避するために三年に一度、閏年ならぬ「閏月」を入れ暦を調整していたのです。
旧暦を正しくは「太陰太陽暦」というのはこのためです。
→関連記事「日本美の幕開け! 年内立春の歌に紀貫之の本気をみた

平安歌人は月(Month)の変わり目で歌を沢山の詠んでいます。
一部を鑑賞してみましょう。

[詞書]卯月に咲ける桜を見てよめる
136「あはれてふ 事を数多に やらじとや 春に遅れて ひとりさくらむ」(紀利貞)

[詞書]水無月のつごもりの日よめる
168「夏と秋と 行きかふ空の 通い路は かたへ涼しき 風や吹くらむ」(凡河内躬恒)

ちなみに「卯月」は4月、「水無月」は6月、「つごもり」とは「月隠り」つまり月末という意味です。

さて、次は日(Date)に目をやってみます。
月にふたつくらい、立春、雨水、啓蟄、春分といった文字が見つかるはずです。

これらは「二十四節気」と呼ばれるもので、テレビの天気予報などでもよく聞きますよね。
その際に「立春になりましたが、まだまだ寒いですねー」などと、節気と実際の気候とのズレが強調されたりしますが、
このズレを旧暦のせいにしていたあなた! 間違いです。

二十四節気とは「太陽の運行」(黄道上の位置)をきっちり24等分してそれぞれに名称をつけたものです。
ですから上で説明した「月の朔望」を基準とする旧暦(太陰太陽暦)とはまったく関係がありません。

節季が実際の気候とズレて感じるのは、節季が古代中国の黄河流域(およそ北緯37.5くらい)で誕生したことに起因します。
日本に置き換えると新潟県付近に位置しますから、東京を基準した場合ちょっと寒い表現となって当然ですよね。

この「節季」による季節の変わり目、特に「立春」、「立秋」を平安歌人は非常に大切にしました。

[詞書] 春立ちける日よめる
2「袖ひぢて むすびし水の こほれるを 春立つけふの 風やとくらむ」(紀貫之)

[詞書] 秋立つ日、上のをの子供賀茂の河原にかはせうえうしけるともにまかりてよめる
170「河風の 涼しくもあるか うち寄する 浪とともにや 秋は立つらむ」(紀貫之)

春の足音が聞こえる… なんて素敵なレトリックも
春が立つと書いて「立春」、からきているんでしょうね。

最後にこれを見つけましょう。
月(Month)と日(Date)の奇数のゾロ目に、端午、七夕、重陽といった文字があるはずです。
これらは「節句」といい、今でも伝統的な行事が行われたりしてお馴染みですね。

この節句の由来は太陽でもなく月でもありません。
ではなにか?

なんと、中国の「陰陽説」が由来なのです。
陰陽説によると奇数の重なる日は陽の気が強すぎるため、それを弱めるための儀式として節句が行なわれてたようなのです。

ちなみに平安時代は節句ではなく「節会」といって、
元日、白馬(正月7日、踏歌(正月16日、端午(5月5日)、豊明(11月新嘗祭の次の辰の日)に、宮廷で盛大なイベントが開かれていました。

[詞書] 五節の舞姫を見てよめる
872「『天つ風 雲の通ひ路 吹きとぢよ をとめの姿 しばしとどめむ」(僧正遍昭)

「五節」は五番目の節である「豊明節会」を指し、そこで舞う舞姫を詠んだ歌です。
節会のクライマックスを飾る、それは優美で可憐な舞だったようです。

このように、身近なカレンダーだけでも、四季を十分楽しめることがお分かり頂けたことでしょう。
ちなみに大安や仏滅といった現代人に一番身近な暦注「六曜」は、古今和歌集に一切登場しません。
六曜が中国から日本に伝わったのが15世紀前後みたいですから当然ですね。

さて、よくよく考えてみると、平安貴族だって平安京という大都会で暮らしてたわけです。
四季の楽しみ方なんて、現代の我々とそう変わらなかったかもしれませんね。
コンクリートの中だって、四季を楽しめる! ってことです。

(書き手:歌僧 内田圓学)

和歌の型(基礎)を学び、詠んでみよう!

代表的な古典作品に学び、一人ひとりが伝統的「和歌」を詠めるようになることを目標とした「歌塾」開催中!

季刊誌「和歌文芸」
令和六年冬号(Amazonにて販売中)

jaJapanese