ほととぎす、夏のヘビーローテーション


「夏」といえば、何を連想しますか?
現代の感覚でいえば、「海」「ひまわり」「かき氷」など、人それぞれ沢山の景物が挙げられそうです。

それでは古今和歌集的、夏といえば何か?
それは「ほととぎす」一択です。

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古今和歌集の「夏」部の歌は34首しかありませんが、そのうちなんと28首に「ほととぎす」が登場するのです。
→関連記事「「夏、それは平安貴族の最たる苦痛」)」

これは「テッペンカケタカ」または「トッキョキョカキョク」などと真似される「ほととぎす」の曲(鳴き声)が、夏のあいだ延々と繰り返される、いわば「夏のヘビーローテーション!」といった感じですね。
ちなみに「新古今和歌集」になると、夏部に「五月雨」「蛍」「ひぐらし」なんてのも詠みこまれ、ほととぎす一辺倒だった偏りが解消されています。

さて、その「ほととぎす」の曲ですが、たんなる夏を飾る鳴き声にとどまらず、
なんと「思慕の念をかき立てる!」という効果を含んでいます。

143「ほととぎす 初声きけば あぢきなく 主さだまらぬ 恋せらるはた」素性法師
145「夏山に なくほととぎす 心あらば もの思ふ我に 声なきかせそ」(よみ人知らず)
162「ほととぎす 人まつ山に 鳴くなれば 我うちつけに 恋まさりけり」(よみ人知らず)

ほととぎすの声を聞くことで、恋心がさらに増してしまう…
そんな効果があることで、より深みのある歌になります。

また同じく夏の景物の一つ「橘」。これは「昔の人を思い出す」という効果があります。
139「五月待つ 花橘の 香をかげば 昔の人の 袖の香ぞする」(よみ人知らず)

このように和歌の代表的な景物には、ある決められた効果(設定)があるのが通例です。
これを知らないと正しく詠歌できないことはもちろん、歌の本意も理解できないという状態に陥ります。
和歌が教養を要するというのは、こういったルールを会得する必要があるからですね。
→関連記事「和歌と短歌の違い(2) ~歌ことば編~

ところで「ほととぎす」といえば、明治の歌人「正岡子規」が思い起こされます。
「子規」は「しき」と読みますが、これは「ほととぎす」に当てられた漢字の一つでもあります。
ちなみに「ほととぎす」には「郭公」、「子規」、「時鳥」、「杜鵑」、「杜宇」、「蜀魂」、「不如帰」、「霍公鳥」、「田鵑」といった沢山の漢字表記があります。

古今和歌集ならびに紀貫之を通例に批判した正岡子規が、その俳号に古今和歌集を代表する鳥を選んだことは、興味深い因縁ですね。
その由来は「血を吐くまで鳴く」と言われる「ほととぎす」と、結核になり吐血した自分を重ね合わせたから、と言われていますが、子規は純粋に「ほととぎす」に魅了されていたように思えます。
なぜなら子規が詠じた「ほととぎす」が、愛情とバラエティに富んでいるからです。

「松山市立子規記念博物館」のサイトで季語「時鳥」で検索すると、306件の俳句が閲覧できます。
その中で、私が選んだ子規の「ほととぎす」ベスト3をご紹介しましょう。
→「松山市立子規記念博物館

○「一声や大空かけてほとゝきす」
明治の俳句らしい、力強さのある「ほととぎす」です。

○「月もなし時鳥もなし風の音」
藤原定家にも通じる、寂寥感のある「ほととぎす」です。

○「ラムネの栓天井をついて時鳥」
いつそこにいた!? っていう感じで突拍子もなく現れる「ほととぎす」です。

春の「鶯(うぐいす)」と比べると、現代では少し馴染みの薄い「ほととぎす」。
でも本当は「夏のアイドル!」ってくらい魅力的な鳥だってこと、ぜひ知っておいてください。

ほととぎすの鳴き声を知らないという方は、Youtubeという便利なものでぜひお聴きください。

愛しい人が思い起こされましたか?

(書き手:歌僧 内田圓学)

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