30966
藤原良経(九条良経)は摂関藤原(九条)家の嫡男でありながら、後鳥羽院歌壇の代表的歌人として活躍した人です。

父は五摂家のひとつ九条家の祖である九条兼実、叔父には天台座主で歌人としても知られる慈円がいます。
藤原俊成に和歌を学び、パトロンとなって御子左家と深い交流をもちます。その詠みぶりは後鳥羽院に「良い歌があまりに多く、欠点と言えばむしろ平凡な歌がないこと」(後鳥羽院口伝)と言わしめたほど。
最高官位は従一位で摂政、太政大臣。家筋だけでなく才能も兼ね備えた、まさに稀代の天才貴公子です。

こう聞くと良経のキャリアはさぞかし煌びやかであったと思われそうですが、実はそうでもありません。
時は1196年(建久7年)、政敵である源通親らに陥れられ父とともに朝廷から追放されてしまいます。建久の政変です。
後に後鳥羽院によって許され復帰しますが、この苦い経験が影響しているのでしょうか、良経の歌はうら寂れて孤独を求めるものが非常に強いです。

「この世はしょせん無常。朝廷の地位などに何の意味もない…」

良経の歌には、同じ家筋の藤原良房や道長のような満ち足りた心境の歌は全くみえません。
あるのは閑寂な風景とその余韻だけ。
ただそれが抜群に美しい。

後鳥羽院も唸らせた良経の十首をみてみましょう。

藤原良経の十首

(一)「み吉野は 山も霞て 白雪の 降にし里に 春はきにけり」(藤原良経)
この歌は旧来の体で詠まれ平凡な感じもしなくないですが、注目すべきは新古今和歌集の記念すべき第一首であるということです。良経は新古今和歌集の仮名序をも執筆しています。後鳥羽院の信頼厚かったことが分かります。

(二)「吉野山 花のふるさと あと絶えて むなしき枝に 春風ぞふく」(藤原良経)
花が散った枝に春風だけが吹いている。なんと美しい情景でしょうか! これぞ余情の極みです。

(三)「うちしめり 菖蒲ぞかをる ほととぎす なくや五月の 雨の夕暮れ」(藤原良経)
嗅覚、聴覚、視覚を同時に刺激し美しく仕上げる。これほどの妙技は良経にしかできません。

(四)「雲はみな 払ひはてたる 秋風を まつに残して 月をみるかな」(藤原良経)
一見シンプルな歌ですが「秋風を松に残す」という複雑な情景歌、これぞ新古今の魅力です!

(五)「月ぞすむ 誰かはここに 紀国や 吹上の千鳥 独りなくなり」(藤原良経)
月の下に独り鳴く千鳥。これは自信の暗喩のようにも受け取れてしまいます。

(六)「身にそへる その面影も 消えななむ 夢なりけりと 忘るばかりに」(藤原良経)
面影も夢と消えてほしい。良経の恋歌です。

(七)「わが涙 もとめて袖に 宿れ月 さりとて人の 影はみえねど」(藤原良経)
「さりとて」というネガティブな発想が良経歌をそれたらしめています。

(八)「月みばと いひしばかりの 人はこで 真木の戸たたく 庭の松風」(藤原良経)
約束したあの人は来ない。ただ松風が真木の戸を叩いている。恐ろしいまでの寂寥の世界です。

(九)「おしかへし ものを思ふは 苦しきに 知らず顔にて 世をや過ぎまし」(藤原良経)
良経の雑歌です。雑歌は四季や恋の題詠歌と違い、作者の本心が表れやすいといいます。「知らぬ顔をして過ごしていこうか」なんて言っちゃう摂政・太政大臣が好きです。

(十)「春日山 都の南 しかぞ思う 北の藤波 春にあへとは」(藤原良経)
春日山にある春日大社は藤原家の家社であり、北の藤波とは藤原北家のことを指します。自らの家筋の繁栄を願った歌ですが、うらはらに藤原北家は五つに分裂(五摂家)し、影響力もしだいに弱くなってゆくのです。

「無常の美」
良経が到達した境地は、自身にも無遠慮に降りかかります。
新古今和歌集が成った翌1206年、38歳で早逝してしまうのです。

稀代の貴公子は輝いたまま散ったのでした。

(書き手:内田かつひろ)

「写真歌会 あさぎいろ」
あなたも和歌・短歌を詠んでみませんか? 平安歌人になりきって「和歌」と四季折々の情景(写真)をご披露いただけます。
わくわく和歌ワークショップ
はじめての古今伝授と連歌会

平成和歌所では、誰でも歌を楽しめる「あさぎいろ連歌会(Word Association Game)」を行っています。日本語の「ことばあそび」を存分に楽しみましょう。

和歌マニア♪ 日本文化の王道をあそび倒す!
ラジオ 和歌マニア♪

古典和歌を爆笑エンターテイメントとしてトコトン遊び倒していく番組です。 ニンマリ笑って、けっこうタメになる! 和歌DJウッチーこと「内田かつひろ」と英語講師「ろっこ(rocco)」の鋭い突っ込みでお送りします。

Youtubeで聴く iTunes Podcastで聴く