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百人一首といえば和歌に興味がなくても知っている方は多いでしょう。
ただそれはカルタ遊びとしてかもしれませんが、和歌文化を今に残すという意味では極めて重要な存在です。

百人一首は和歌界の偉人、藤原定家が選出した和歌のアンソロジーだといわれています。
飛鳥時代の天智天皇から始まり鎌倉時代の順徳院まで、百人の秀歌が一首ずつ年代順に並んでいます。
百人一首をきっかけに、和歌のファンになった方も多いのではないでしょうか。

ただこの百人一首、和歌のアンソロジーつまり「和歌文化を総括するベストアルバム」と捉えると、
正直言ってつまらない作品集です。
百首に目を通す前に飽きてしまう方は、けっして私だけではないはずです。

それはなぜか?

なぜなら百首のほとんどが、似たような歌ばかりだからです。
想像してみて下さい、もしビートルズの「アンソロジー(Anthology)」全155曲の半分が「レット・イット・ビー 」だったら…辟易して二度と聞かなくなるでしょう。

ここまで極端ではないとしても百人一首は同じような歌、つまり「ワンパターン」に陥っているのは確かです。

■ワンパターンその1、「似たような情景、言葉」
百人一首を眺めて、すぐ分かることがあります。
それは、似たような歌が多いことです。

1「秋の田の かりほの庵の とまをあらみ わが衣手は 露にぬれつつ」(天智天皇)
15「君がため 春の野に出て 若菜つむ わが衣手に 雪はふりつつ」(光孝天皇)

19「難波潟 みじかきあしの ふしのまも あはでこの世を 過ぐしてよとや」(伊勢)
88「難波江の あしのかりねの ひとよゆへ 身をつくしてや 恋わたるべき」(皇嘉門院別当)

11「わたのはら 八十嶋かけて こぎ出ぬと 人には告げよ あまのつりぶね」(参議篁)
76「わたのはら こぎ出てみれば ひさかたの くもゐにまがふ 奥津白波」(法性寺入道前関白太政大臣)

これらは特に似かよった歌例ですが、おおむねこのような傾向があります。
お手付きを狙った「カルタ遊び」としては秀逸な撰歌といえますが、和歌のベストアルバムとしては疑問が残ります。

■ワンパターンその2、「ネガティブな恋」
百人一首はといえば「恋」というほど、恋歌が多く採られている印象がありますよね。
それもそのはず、百人一首の部(テーマ)別構成は以下になります。
・恋:43首
・四季(春夏秋冬):32首
・雑部:20首
・羈旅:4首
・離別:1首

四季歌を圧倒し、百首のおよそ半分が恋歌であることが分かります。他の勅撰和歌集などを見ても、こんな偏りは見受けられません。
そして、です。
これら恋歌のほとんどが「忍ぶ」「待つ」「思う」「恨む」といった超ネガティブ(消極的)思考。

40「忍ぶれど 色に出でにけり わが恋は 物や思ふと 人のとふまで」(平兼盛)
49「みかきもり 衛士のたく火の 夜はもえ 昼は消えつゝ 物をこそおもへ」(大中臣能宣朝臣)
63「今はたゞ おもひ絶なん とばかりを 人づてならで いふよしもがな」(左京大夫道雅)
85「よもすがら 物思ふころは 明けやらぬ ねやのひまさへ つれなかりけり」(俊恵法師)

これらが二首に一首の割合で登場するとなれば、鑑賞者もくら~い気持ちになってしまいます。
本来、和歌には瑞々しい一目惚れ(垣間見)の恋歌だってあるのに!
「ほととぎす 鳴くや五月の あやめくさ あやめもしらぬ 恋もするかな」(よみ人しらず)
「春日野の 雪間をわけて 生ひいてくる 草のはつかに 見えしきみはも」(壬生忠峯)
「山さくら 霞のまより ほのかにも 見てし人こそ 恋しかりけれ」(紀貫之)

百人一首にこんなウキウキした歌はありません。

■ワンパターンその3、「伝統へのこだわり」
百人一首のすべては、代々の勅撰和歌集から撰出されていることをご存知でしょうか。
・古今和歌集:24首  
・後撰和歌集:7首  
・拾遺和歌集:11首
・後拾遺和歌集:14首
・金葉和歌集:5首
・詞花和歌集:5首
・千載和歌集:14首 
・新古今和歌集:14首
・新勅撰和歌集:4首
・続後撰和歌集:2首

ご覧いただいて分かるように、最も多く選出されているのが「古今和歌集」です。
確かに初代勅撰和歌集である古今和歌集は「日本文化・伝統の基礎」というべきもの。
ただ、基礎の裏返しは「凡庸」であると言えないでしょうか?

古今集から時代が下った「新古今和歌集」では、その300年間に鍛えられ、洗練された和歌が複数詠まれました。
「梅花 匂ひをうつす 袖のうへに 軒漏る月の 影ぞあらそうふ」(藤原定家)
「白妙の 袖のわかれに 露落て 身にしむ色の 秋風ぞふく」(藤原定家)
「春の夜の 夢の浮橋 とだえして 峰にわかるる 横雲の空」(藤原定家)
→関連記事「定家vsマラルメ 世紀を超えた対決! 象徴歌の魅力に迫る

いわゆる「象徴歌」なんて評価されるこれら新古今歌は、現代の私たちにも新鮮に、そして言葉の芸術であるように映りますよね。
しかし、新古今後に撰集されたはずの百人一首にこれらの歌は見当たりません。
いったいどうして、百人一首の撰者である定家は自らの過去を否定するかのように、あの百首から新古今の芸術を捨て、古今集という伝統にこだわったのか?

定家は新古今和歌集の編纂後、「近代秀歌」という歌論を執筆します。
そこでは自らが切り開いた新古今歌を否定するかのように、紀貫之や近代の先達に習い、心ある歌「有心」や小野小町を代表とする「余情妖艶」を歌の規範とするよう強調しています。
→関連記事「余情妖艶と小野小町

後鳥羽院との共同作業に相当参ったのでしょう(泣)
…まあ分かりませんが、ともかく新古今時代以後、
定家は伝統的な古今歌風を重んじ、中でも恋歌を重んじるようになっていくのです。

そして百人一首。
これは定家晩年(75歳)の仕事です。
人生のいわば総仕上げというべき歌集で、彼は自身の美学をそのまま表現しました。
それが「恋歌(ネガティブ思考)偏重」であり「伝統(古今集)偏重」なのです。
→関連記事「藤原定家 ~怒れる天才サラリーマン~」
→関連記事「「色なき歌集」百人一首で知る、閑寂の美

いかがでしょうか。
百人一首は藤原定家の美学の結晶とはいえ、和歌文化を網羅的に扱ったベストアルバムではないことがお分かり頂けたと思います。
和歌には本来、多様な歌があることをぜひ知ってほしいと思います。
→関連記事「日本人なら覚えたい和歌のグレイテスト・ヒッツ10!

(書き手:内田かつひろ)


 
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