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人間とは不思議なもので、自分達の土地やアイデンティティを象徴するものとして「花」を選ぶ傾向にあるようです。
家紋にはじまり町、市の花、県の花。これが国単位になると「国花」となります。
国花の例をあげますと、中国は「牡丹」と「梅」、アメリカは「バラ」と「セイヨウオダマキ」です。

では日本の国花はなんでしょう?
知らなくても答えられますね、そう「桜」と「菊」です。

菊は現代日本人にとって、一部の愛好家を除いてはそれほど愛着がないように思えます。
→関連記事「菊の栄枯盛衰ストーリー

その点、桜は「まさに日本の花」と誰もが納得する存在感があります。
三月も終わりになると「桜前線北上中!」などとメディアも囃し立てて、国中を挙げてソメイヨシノの開化を待ちわびているような状況です。

ではいつから「桜」は日本を代表する花になったのでしょう。
このサイトで取り上げるのですから、当然結論は「古今和歌集の時代」といいたいのですが、
今回はその筋道に妄想がかなり膨らんでいることをご承知おきください。

和歌で単に「花」といった場合、これは「桜」を示すことになっています。
102「春霞 色のちくさに 見えつるは たなびく山の 花のかげかも」(藤原興風)

ところが「花=桜」が成立するのは古今和歌集以後で、万葉集では「花=梅」であるとされています。

これは花が詠まれた歌数で伺い知ることができます。
古今和歌集で「桜」が詠まれた歌は75首、「梅」は22首です。※歌順から「花」を「梅」または「桜」に分類
これに対し万葉集では「桜」は40首、「梅」118首がとされています。※ちなみに最多は「萩」の141首

この「桜」と「梅」の逆転現象はいつ起こったのでしょうか?
万葉の奈良時代を下って平安時代を探ってみましょう。

言うまでもありませんが、都が「平安京」に置かれてからが平安時代です。
奈良の平城京から平安京に遷都したのは桓武天皇。
遷都の際、天皇が紫宸殿の庭に植えさせたのは「梅」だったといいます。
紫宸殿は皇室の儀式等を執り行う大切な空間で、内裏の中でももっとも目立つ場所。平安時代の初期はまだ「花=梅」だったようです。

ところが、この紫宸殿の梅が桜に置き換えられる時がきます。
そしてこのタイミングこそが、「花=桜」になった瞬間なのです!
※後にこの桜は「左近の桜」と呼ばれます

紫宸殿の梅を桜に植え替えさせたのは仁明天皇です。
天皇は幼い時から病弱であったと言われています。
梅より桜を選んだのは、花の盛りにあえなく散ってゆく桜にわが身を重ねたからではないでしょうか。

そしてこのエピソードを強化するのがかの六歌仙、小野小町です。
113「花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに」(小野小町)

桜の代表歌ともいうべきこの歌。
ここで花は桜となっています。

もしかしたら小町が歌に詠んだ桜は、あの紫宸殿の「左近の桜」だったかもしれません。
なぜなら小野小町は、仁明天皇の更衣だったという説があるのです。
wikipedia「小野小町」

小町が「花の色は…」と詠んだとき、すでに仁明天皇は隣にいなかったのでしょう。
ただ、天皇のことを想ってひたすら「ながめ」していた。

そう妄想を膨らますと、桜を日本の花たらしめた立役者は仁明天皇と小野小町であり、
本来ひとつの記号ともいうべき「桜」に、我々が「無常」を見てしまうのは、あの「花の色は…」の歌が意味を与えたからなのかもしれません。

いかがでしょうか。
今回は妄想が妄想を呼ぶ展開となりましたが、脳内を妄想で満開にするのもまた一興です。

(書き手:内田かつひろ)

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