「やまとうたは、人の心を種として、よろづの言の葉とぞなれりける。」
紀貫之による古今和歌集の仮名序、冒頭の名文句です。

人の心からなる和歌は、まさに数えきれないほど詠まれてきました。
古今和歌集には1100首の歌が納められていますが、これも21ある勅撰和歌集の一つにしかすぎません。
さらに個人の歌集もありますし、そもそも世に出ていない歌なんて考慮したら途方にくれる歌数となるでしょう。

今回はその無数の楽曲の中から、和歌ファンのみならず多くの日本人に絶大な影響と感動をもたらしたグレイテスト・ヒッツを10首選出してみたいと思います!
※一般的に和歌のベスト盤といえば百人一首が有名ですが、選出された歌風に偏りがあることが難点です。
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日本人であれば、せめてこれら10首は歌詞カードなしで歌いたいところです。

この記事の音声配信「第三回 和歌のグレイテスト・ヒッツ!」を
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1.「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を」(須佐之男命)

天皇家の祖神、天照大神の弟であり、八岐大蛇伝説で有名な須佐之男命(スサノオノミコト)の歌です。
須佐之男命が八岐大蛇を退治した後、櫛名田姫との新婚の宮を建てる際、何重の雲が立ち上ったのをみて詠んだとされています。
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この歌は和歌の起源であると、紀貫之による古今和歌集の仮名序では記されています。
「あらからねの地にしては、須佐之男命よりぞおこりける。ちはやふる神代には、歌の文字も定まらず、すなほにしてことの心わきがたかりけらし。人の世となりて、須佐之男命よりぞ、三十文字あまり一文字はよみける。かくてぞ花をめで、鳥をうらやみ、霞をあわれび、露をかなしぶ心言葉多く、さまざになりにける」

和歌という悠久の歴史における、ファーストシングルといえる歌です。

2.「ひむがしの 野にかぎろひの 立つ見えて かへり見すれば 月かたぶきぬ」(柿本人麻呂)

東の野に陽炎が立つ、太陽が今まさに登ろうとするとき、後ろを見れば月が傾いている。
カントリー調で雄大な詠みぶりは、まさに万葉集の代表といった風格。詠み人は紀貫之や藤原俊成をして「歌の聖」と讃えられた柿本人麻呂です。
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実はこの歌、登る太陽に軽皇子を、沈む月に亡くなった皇子の父である草壁皇子を喩えていると言われています。
草壁皇子は天武天皇の息子でありながら、即位することなく28歳の若さで早世してしまいました。
人麻呂は若々しい軽皇子に次時代を感じながらも、無念の草壁皇子に心を寄せています。

ちなみに太陽と月が逆になると
「菜の花や 月は東に 日は西に」(与謝蕪村)

いずれも明暗のコントラストが美しい歌です。

3.「唐衣 着つつなれにし つましあれば はるばるきぬる 旅をしぞ思ふ」(在原業平)

これは六歌仙の一人でもあり、稀代のプレイボーイ在原業平の歌。
京からの長い旅中、愛しい妻を思いを綴った歌です。
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詠まれたのは伊勢物語の中でも特に有名な第九段の「東下り」のワンシーン
「三河の国、八橋といふ所にいたりぬ。
その沢に、かきつばたいとおもしろく咲きたり。
かきつばたといふ五文字を、句の上に据ゑて、旅の心をよめ」

とあるように、各句頭をよむと見事に「か・き・つ・ば・た」となっています。
これは「折句」といわれる技法です。
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加えて掛詞が4箇所
・き:「着」、「来」
・なれ:着物が「馴れ」る、妻に「慣れ」る
・つま:「褄」、「妻」
・はる:「張」る、「遥」ばる
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「衣」の縁語が4箇所
・衣:「き」、「なれ」、「つま」、「はる」
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さらに枕詞「唐衣」→「着」
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おまけに掛詞でつながる序詞
・「唐衣 着つつ」→「なれ」
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と和歌の修辞法が全て詰まったこの歌は、ジョン・コルトレーンも腰を抜かすような超技巧的な歌です。

この「かきつばた」の歌、後世の芸術に多大な影響を与えました。それは意外にも詩歌ではなく絵画・工芸の分野においてです。
代表例が日本画の名品中の名品、尾形光琳の国宝「燕子花図屏風」です。
光琳ら琳派を中心にいくつもの「かきつばた」が描かれました。

4.「花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに」(小野小町)

言わずと知れた六歌仙、小野小町の歌。
これは百人一首、古今和歌集いや日本の和歌を代表する歌といって過言でなく、この三十一文字のなかに日本の美意識が凝縮されています。
桜の美、それも散り行く桜。そこにこめた寂寥の思い。
日本のスタンダードナンバーというべき典型的な旋律です。

藤原定家はその歌論で「余情妖艶」こそが歌の核心であるとし、その最たるものとして小町をみました。
小町がいなければ、恋歌もなく源氏物語のようなラブバラッドは生まれなかったかもしれません。

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5.「東風吹かば 匂ひおこせよ 梅の花 主なしとて 春を忘るな」(菅原道真)

菅原道真は大宰府天満宮に祀られ、学問の神様として有名です。
その学識の高さから宇多天皇に重用され、醍醐朝では右大臣にまで昇進しました。しかし急激な出世は反感を招き、ついには大宰府へ左遷、その地で没します。
この歌は太宰府への出立のおり屋敷内の梅の木に語りかけるように詠んだものだといいます。ちなみにこの梅、ご主人を追いかけて遠く大宰府まで飛んでいきました! これを「飛梅伝説」といいます。三大歌舞伎の一つ「菅原伝授手習鑑」はこの伝説を主題としています。

道真は漢様と和様のフィージョンをなした人です。
自らの漢詩集を何冊も起こすほど、漢詩に長けた道真は、漢詩の心を和歌で育みました。
そして道真の意見によって遣唐使が廃止されて後、日本の和風化いわゆる国風文化は加速していくのです。
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6.「袖ひぢて むすびし水の こほれるを 春立つけふの 風やとくらむ」(紀貫之)

古今和歌集の代表的選者、紀貫之による古今和歌集の春上、第2首目の歌です。
季節は夏、袖を濡らしすくった水が冬凍ったのを、立春の風が溶かしているだろか

四季の移ろいはとは本来とりとめのないものです。
それを貫之達選者は「美」という新しいスケールでモード化したのです。
この歌はそれを強く宣言する歌です。

まさにここに、古今和歌集の美学・理想が凝縮されています。
そしてこのモードは、日本人の「四季感」となって今も息づいています。

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7.「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の かけたることも なしと思へば」(藤原道長)

時は西暦1000年、「源氏物語」、「枕草子」など女流文化華やかなりし頃、左大臣藤原道長はその長女彰子を一条天皇のもとへを女御として入内させます。一条天皇にはすでに先立ちの后定子がいましたので、一帝二后という過去に類のない状況を生み出したのです。
ちなみに彰子には紫式部が定子には清正納言が女房として仕えていました。

道長の策略はその後も続きます。次女の妍子を三条天皇の中宮に、四女の威子を後一条天皇の中宮にするという「一家三后」と謀略の限りを尽くします。
中臣鎌足に始まる藤原摂関家は、不比等、良房をへてついに絶頂を極めるのです。
これはその帝王、道長の歌です。

しかしこの歌の翌年、道長は病に侵され、よもや出家するとはだれが予想したでしょうか。
帝王もやはり人間。道長しかりマイルス・デイビスしかり。

8.「瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の われても末に 逢はむとぞ思ふ」(崇徳院)

激流の人生。あなたと引き裂かれてもなお、いつか逢いたいと願う。
これは自身が勅撰を命じた「詞花和歌集」の「恋」にある歌です。
でもこの歌を、素直に恋歌と捉える人は少ないでしょう。

崇徳院は並みいる歌人いや天皇の中でも、最も悲劇的な人物です。
院は父である鳥羽上皇から「叔父子」つまり鳥羽上皇の中宮である待賢門院と祖父である白川上皇の子であると疎んじられていました。
養子である体仁親王(近衛天皇)が即位する際、譲位の宣命に「皇太弟」とあったため院政を行うことができず、実権のない上皇として長く座し、近衛天皇が崩御すると院の子である重仁親王の即位を画策しますが、結局それは叶わず後白河天皇が即位したのは周知のとおりです。
鳥羽上皇が崩御すると、天皇家、摂関家、武家それぞれが抱えていた内紛がついに明るみにでます。保元の乱です。
これに敗れた崇徳院は讃岐に流され、二度と都の地を踏むことはなく乱の8年後46歳で崩御したのです。

「われても末に 逢はむとぞ思ふ」。この強い夢は結局叶いませんでした。
悲劇の院には、エレジーを手向けずにはいられません。
ちなみに怨霊となった崇徳院と西行が論争を繰り広げる雨月物語「白峯」は、江戸時代の読本作家上田秋成の名作です。

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9.「願わくば 花の下にて 春死なむ その如月の 望月のころ」(西行)

鳥羽院の北面武士として仕えたその人は俗名を佐藤義清といい、出家して西行と称しました。
藤原俊成を中心とする九条家歌壇とも親交が厚く、新古今和歌集には最多の94首採られるなど、平安末期における最重要歌人です。
彼が貫いた数寄の生き方は松尾芭蕉などの俳人をはじめ、多くの日本人に影響を与えました。

この歌は、僧でありながら最後まで理想の「美」を追い続けてきた自分自身へのレクイエム。
藤原定家の私家集「拾遺愚草」によると、西行は願いどおり文治六年の2月26日、桜満開の望月(満月)の日に滅したといいます。
この時、西行は伝説となったのです。
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10.「見渡せば 花も紅葉も なかりけり 浦の苫屋の 秋の夕暮」(藤原定家)

秋の夕暮に寄せる寂寥感は、今も昔も変わりません。
三夕の和歌としても知られるこの歌は、「新古今和歌集」、「新勅撰和歌集」選者のであり御子左家を歌の家たらしめた歌人、藤原定家の歌です。
茶人千利休の師であった武野紹鴎が記した「南方録」というわび茶の秘伝書によると、定家のこの歌こそが「わび」の心であるとしています。
平凡な秋の夕暮れ。でも訳もなく心にしみる…
この歌の前では、穏やかなインストゥルメンタルさえも耳障りです。

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アンコール.「春の夜の 夢の浮橋 とだえして 峰にわかるる 横雲の空」(藤原定家)

この歌は壬生忠峯の「風ふけば 峰にわかるる 白雲の たえてつれなき 君か心か」を本歌にしています。
また「夢の浮橋」と聞けば、誰しもが源氏物語の最終帖を意識せずにはいられないでしょう。
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定家の本歌取りは、内容を足したりズラらしたりといった半端なものではなく、
本歌がもつ世界観を幾重に掛け合わせることで、人間が描く想像力を超越してみせるのです。

ステファヌ・マラルメに先んじること600年前、古今和歌集から起こった日本の象徴歌は、定家によってクライマックスを迎えるのです。
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(書き手:内田かつひろ)

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