貴族の恋愛。
上流階級のそれは華やかで憧れを抱きますよね。
ただこれは男性目線が過ぎるかもしれません。

平安貴族の結婚といえば妻問婚の一夫多妻制。
男は好きな時に好きな女のもとへルンルン♪で出かければいいのですが、
女は御簾裏で男の訪れをただ待ちしのぶのみ。
現代人には想像だにできない不自由・不平等が男女を隔てていたのです。

そんな平安女性が唯一できること、
それは歌を詠むことです。

思慕、嫉妬、悲嘆
女性の複雑な心情はひとえに歌に託されました。
なんともおぼつかない状況…
と私たちは思ってしまいますが、ちょっと違うかもしません。

紀貫之はいいました。
「力をも入れずして天地を動かし 目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ
男女の仲をも柔らげ 猛きもののふの心をもなぐさむるは歌なり」

歌には、現代の私たちが考える以上に力があるのです。

今回は平安女性の中でも、優れて和歌の名手と称えられた「藤原道綱母」と「和泉式部」の恋歌から
平安女性の恋愛テクニックを探ってみたいと思います。

「藤原道綱母」は文字どおり藤原道綱の母であった人です。
本朝第一美人と称えられた美女で、中古三十六歌仙にも選ばれています。
夫は藤原北家の全盛を築いた「藤原兼家」。兼家との結婚生活(21年)をつづった「蜻蛉日記」は有名ですね。

「和泉式部」は…説明するまでもありませんね。
彼女も冷泉天皇の第四皇子「敦道親王」との恋を「和泉式部日記」につづっています。
→関連記事「和泉式部 ~恋にまっすぐな平安ジェンヌ~

彼女たちの日記には、歌による手練の恋愛テクニックが詰まっています。

■出会い(男に誘われた)の場合
「語らはむ 人なき里に ほととぎす かひなかるべき 声な古しそ」(藤原道綱母)
「薫る香に よそふるよりは ほととぎす 聞かばや同じ 声やしたると」(和泉式部)

出会い、といっても結婚前の男女が対面で会うことは出来なかった時代。
男の様子は「文」もしくは御簾外の「声」でうかがい知るしかありません。
この歌では二人とも男性の声を「ほととぎす」に例え、声の主の誘いに返答しています。

道綱母は「いくら鳴いても甲斐はありませんよ」と拒否の態度を示します。
実はこれ、男に対する礼儀なのです。道綱母は型どおり高貴な男(藤原兼家)にもキッチリ返しました。

一方の和泉式部。「同じ声がするのかしら?」とは、声の主が前恋人の弟(敦道親王)だからです。
前恋人(為尊親王)はすでに亡くなっていましたが、喪が明けたばかりの誘いには容易に乗れず曖昧に返しました。

■久々に手紙が来た場合
一夫多妻の平安時代。男がヨソに女をつくるのは普通である。と頭で分かっても心は納得できません。

「穂に出でて いはじやさらに おほよその なびく尾花に まかせても見む」(藤原道綱母)
歌の名手道綱母は嫌味の歌も高レベル。尾花(すすき)を題材に、
「穂が出るようには、私は感情に出しません。尾花が風になびくように、よその女になびくあなたにお任せします」
道綱母はプライド高く、よそよそしく男を突き放します。

一方の和泉式部。
「よそにても 同じ心に 有明の 月を見るやと たれに問はまし」(和泉式部)
彼女も歌の名手で知られますが、道綱母とは詠みぶりが違います。
「別々の場所にいても同じ心で月を見ている」と、技巧のない率直で切ない感情を歌にするのです。

■久々に訪ねてきた場合
男が久しぶりに訪ねてきました。どうせ前の夜は別の女と過ごしたのでしょう。

「嘆きつつ 独り寝る夜の 明くる間は いかに久しき ものとかは知る」(藤原道綱母)
「げにやげに 冬の夜ならぬ 真木の戸も 遅くあくるは わびしかりけり」(藤原兼家)
途絶えがちな訪れに、女は家の門を“あえて”閉じていました。
「どんなに長いか分かる? 寂しさに嘆きながら一人で寝た夜が明けるまでの間が!!!」
めっちゃ怒ってますね…
しかも道綱母、歌(文)を色褪せた菊に付ける(男の心変わりを暗示)という念のいれよう。

対して男は「だ、だよね~。戸が開いてなくて、俺も寂しかったよ~」とタジタジ。
男を徹底的に追い込んでみせるのが道綱母です。

一方の和泉式部、こちらは門を“たまたま”閉じたままにしていた時です。
「あけざりし 真木の戸口に 立ちながら つらき心の ためしとぞ見し」(敦道親王)
「いかでかは 真木の戸口を さしながら つらき心の ありなしを見ん」(和泉式部)

男は「つらい心を試しているんですね?」と聞きます。
対して和泉式部、「会ってもないのに、どうやってつらいのか分かるの?」と返事。
落ち度は彼女の方にあったはずですがあえて拒否の態度。その真意はいかに?

■家出した場合
愛する男が会ってくれない。こうなっては現実逃避の家出です。
こんな時はさすがに男も大慌て、戻ってくるように伝えたところ…

「あさましや のどかに頼む とこのうらを うち返しける 波の心よ」(藤原道綱母)
道綱母の家出(鳴滝籠り)に対する、兼家の誠意が全く足りなかったんでしょうね、
「あっきれた! のどかに寝ていた床をひっくり返すくらい驚いたわよ!」と完全拒絶をぶちかまします。

一方の和泉式部。こちらは石山寺への参籠の折、
「こころみに おのが心も こころみむ いざ都へと 来てさそひみよ」(和泉式部)

「自分の心を確かめるから、こっちへ来て誘ってみてよ! 都へ帰ろって」
敦道親王というスーパー貴公子にこう言ってのけるのです、
もはや恋愛をリードしているのは女の方かもしれません。

■ようやく二人きりになれた場合
念願の逢瀬。大切な一夜は、こんな歌で愛を訴えます。

「思ひせく 胸のほむらは つれなくて 涙をわかす 物にざりける」(藤原道綱母)
「胸の炎が涙を沸かす!!」。道綱母は男のつれなさを強く激しく訴えます。

一方の和泉式部。
「こころみに 雨も降らなむ 宿過ぎて 空ゆく月の 影やとまると」(和泉式部)

「雨が降ってくれたら、月(あなた)の影は止まってくれのかしら」
つまり「今夜は帰らないで…」
特別な夜は、とろけるようなあま~い言葉をかけるのが和泉式部です。

さて、このわずか数首でも恋歌のスタイルの違いが分かりますね。
道綱母は己の嘆きを強く訴え、男を責め立てる「剛情」タイプ。
和泉式部は時には甘く時には辛く、相手やシチュエーションに巧みに合わせる「柔和」タイプ。

これを恋愛テクニックとした場合、どちらが優れているか?
まあ当然、和泉式部のやり口でしょう。男を手懐けている感じすらしますからね。
では世の女性もみんな和泉式部に倣ってみよう! とそれが簡単にできれば苦労しません。
だいたい和泉式部はこれをテクニックではなく、天性のセンスでやってのけてる感じですから。

ともかくも、平安貴族の恋愛というものは想像以上に面倒くさいもののようです。
和歌マニアを自称する私でさえ、憧れが薄らいできました(涙

(書き手:内田かつひろ)


 
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そして本書を読み終わった後、あらためて百人一首を一番から眺めてみてください。
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