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2月11日は「建国記念の日」です。
日本の建国をしのぶ日ですから、成人の日や敬老の日と違ってあまねく日本国民にとっての祝日です。

ただこの「建国」、何をもって定義されているかご存知でしょうか?
それはなんと、初代天皇「神武天皇」が即位した日なのです!
※神武天皇の即位日は紀元前660年の1月1日(旧暦)とされ、これを新暦に換算すると2月11日になるのです

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神武天皇は「カムヤマトイワレビコノミコト」ともいい、曽祖父は高天原から日向高千穂の峰に天孫降臨した「瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)」。瓊瓊杵尊の祖父はなんと、伊勢神宮に祀られているかの太陽神「天照大神(アマテラスオオミカミ)」です。
つまり神武天皇は人であり神であったような人物なのです。

「おお天皇すげー!!」
と、この話を純粋に信じる現代日本人はいないでしょう。
もちろんこれは古代日本の歴史書「古事記」「日本書紀」に記された神話です。
建国記念の日が「記念日」ではなく「記念の日」と、ぼやっとしているのもそういった理由からです。

ただ宮内庁のWEBサイトにある「天皇系図」には、神武天皇の在位期間として前660~585年としっかり明記されています。
これはなんというか、日本の微笑ましさというか懐の深さを感じさせてくれますね。
→「天皇系図

さて、前述した「古事記」「日本書紀」にはおよそ190首もの「歌」が収めれていることをご存知でしょうか?
これは取りも直さず日本最古の歴史書が、日本最古の「歌謡集」でもあるということです。
さらにこの事実からは、天皇ひいては日本の歴史はその最初から「歌」が欠かせないものであったことが分かります。

「歌」の心は歴々の天皇に受け継がれ、現代でも宮内庁主催で歌会を催すなど今上天皇まで息づいます。
万世一系は伊達ではありませんね。

とうことで、天皇ならびにそれに関係する代表歌をご紹介しましょう。

■神代 須佐之男命(スサノオノミコト)
「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を」(須佐之男命)
須佐之男命は、天地開闢をなした「伊邪那岐命(イザナギ)」の鼻から生まれた、天皇家の祖神「天照大神」の弟です。
傍若無人な振る舞いで高天ヶ原を追われますが、降り立った出雲の地で八岐大蛇を退治し、櫛名田姫と結婚します。
この歌は新婚の宮を建てる際、何重の雲が立ち上ったのをみて詠んだとされます。ちなみにこれが三十一文字で詠まれた最初の歌だと言われています。

■神代 瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)
「沖つ藻は 辺には寄れども さ寝床も あたはぬかもよ 浜つ千鳥よ」(瓊瓊杵尊)
これは瓊瓊杵尊が妻である豊吾田津姫の信頼を失い、寝床に来てくれなくなった辛さを歌ったものです。
浜千鳥はいいよな~、藻が寄って来てくれるから…と。神様の歌ですが、なんとも人間臭いです。

■初代 神武天皇(カムヤマトイワレビコノミコト)
「みつみつし 久米の子等が 垣下に 植ゑし椒(はじかみ) 口疼く 我は忘れじ 撃ちてしやまむ」(神武天皇)
天孫降臨以来日向の地にあった天皇家は、神武天皇の代に大和へと拠点を移します。その道のりは苦難の連続、至る土地土地で由来の神様と戦いが勃発します。ちなみにこのエピソードを「神武東征」といいます。
この歌は勝ち戦後の酒宴で詠まれた「久米歌」の一首です。久米の者たちが垣の下に植えた山椒、その山椒で口がしびれたような恨みを俺は忘れないぞ! 力で大和の地を平定した、従来の天皇にはない滑稽ながらも猛々しい歌です。

■第38代 天智天皇
「妹があたり 継ぎても見むに 大和なる 大島の嶺に 家居らましを」(天智天皇)
天智天皇の即位前の名は中大兄皇子。645年、中臣鎌足と企て蘇我入鹿を暗殺し、後に天皇に即位しました。ちなみに鎌足は藤原氏の始祖です。
大和の大島の嶺に家があったら、愛する君がいるあたりをずーと見てるのになぁ、なんてとっても純愛ですね。

■第40代 天武天皇
「紫の にほへる妹を 憎くあらば 人妻故に 吾恋ひめやも」(天武天皇)
天武天皇は天智天皇の弟、即位前の名は大海人皇子です。壬申の乱で天智天皇の子大友皇子に勝利し天皇に即位しました。大宝律令、古事記、日本書記などの編纂を命じるなど、歴代天皇の中でも最も君主らしいのがこの天武天皇です。
歌に出てて来る人妻「額田王」は兄天智天皇の妻を指しますが、実はこの女性、なんと自分の元妻だったのです。それが兄に召されて人妻になったのです。でも憎いなんてことはない、なぜならまだ恋してるから! いや、いかんいかん。という歌。 この奔放な恋愛関係、冗談なのか本気なのかよく分かりません。
ちなみにこの歌、額田王の歌への返歌です。
「あかねさす 紫野行き 標野行き 野守は見ずや 君が袖振る」(額田王)
ちょっとあんた私に手を振らないでよ、野守(天智天皇)が見てるかもしれないでしょ!

■第60代 醍醐天皇
「かくてこそ 見まくほしけれ 万代を かけてにほへる 藤浪の花」(醍醐天皇)
醍醐天皇は延喜の治と称される天皇親政を行い、延喜式を編纂するなど積極的に政治を行った人です。なかでも初の勅撰和歌集「古今和歌集」の編纂を命じたことで有名ですね。その天皇らしく、醍醐天皇の歌は和歌として完成しています。

■第66代 一条天皇
「秋風の 露の宿りに 君をおきて 塵をいでぬる ことぞ悲しき」(一条天皇)
一条天皇の御代には正妻が二人(藤原道隆の娘皇后定子、藤原道長の娘中宮彰子)いわゆる一帝二后という異様な事態になりました。ただそれゆえに後宮サロンは競うように華やぎ、源氏物語や枕草子といった歴史的な王朝文化を育むのです。
歌にみえる世の中を「露」や「塵」に例えるところなんか、なんとも弱々しく感じます。

■第72代 白河天皇
「しづかなる 気色ぞしるき 月影の 八百万代を 照らすべければ」(白河天皇)
白河天皇は譲位後に堀河、鳥羽、崇徳天皇と三代43年間もの間、政治の実権を握り続けました。ちなみにこのスタイルを院政といいます。
平家物語に「賀茂河の水、双六の賽、山法師、是ぞわが心にかなわぬもの」という逸話がありますが、逆にいうとそれ以外は意のままだったといことで、この歌にも王者白河院の風格が毅然と現れています。

■第75第 崇徳天皇
「瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の われても末に 逢はむとぞ思ふ」(崇徳天皇)
崇徳天皇といえば日本史上最も悲劇的な天皇として知られています。父鳥羽院には愛されず、弟である後白河天皇と争った(保元の乱)結果、讃岐の地へ流刑となってしまうのです。崇徳院の恋歌には強い切迫感を感じます。
→関連記事「崇徳院 ~ここではないどこかへ~

■第82代 後鳥羽天皇
「我こそは 新島守りよ 隠岐の海の 荒き波風 こころしてふけ」(後鳥羽院)
後鳥羽院は天皇家の中で最後の帝王であったような人です、ただその舞台は政治ではなく文化において。すでに政治の実権は鎌倉方に移っていましたが、それを覆そうと後鳥羽院が起こしたのが「承久の乱」です。あえなく敗れた院は隠岐に流刑となってしまいます。これはその際に詠まれた歌ですが、沈鬱な影は見えず、相変わらず息巻く院の姿があります。
→関連記事「後鳥羽院 ~お前のものは俺のもの、中世のジャイアン~

■第125代 今上天皇
「園児らと たいさんぼくを 植ゑにけり 地震ゆりし島の 春ふかみつつ」(今上天皇)
言わずと知れた今上(平成)天皇の平成十四年歌会始の歌です。この年の歌題は「春」でしたが、天皇は阪神淡路大震災の被災地で、園児らと泰山木を植えた思い出を詠まれました。

天皇の役割は変われど、歌の心は変わりません。今上天皇が退位され、新しい天皇の時代となっても。

(書き手:内田かつひろ)

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