和歌と短歌の違いについて、これまで歌の「心」と「ことば」という2つの視点で説明しました。
今回はそのまとめとして、両者の本質的な違いに迫ってみたいと思います。
→関連記事「和歌と短歌の違い(1) ~歌の心編~
→関連記事「和歌と短歌の違い(2) ~歌ことば編~

これまでの説明で、和歌には「ルールがあり」短歌には「ルールがない」とお話ししました。
ではなぜそのような違いが生まれるのか?

それは短歌が「主観」で詠むものであり、和歌が「客観」で詠むものだからです。

明治期、伝統的な和歌に対抗する形で勃興した短歌は「写実主義」を重んじました。
写実、それは自分が得たありのままの情景・感情を、自分の言葉でダイレクトに歌にする行為です。
その切り取り方も自分次第であれば、それを表現する言葉も自分次第。
つまり歌の価値基準は「自分」という主観にあるのです。

一方の和歌。
情景・感情の切り取り方は状況(季節、恋の段階など)によって厳格な決まりがあります。
またそれを表現することばも、縁語などのルールに従わなければなりません。
つまり歌の価値基準は自分にはなく「歌のルール」という客観的な存在にあるのです。
そしてこの歌のルールブックこそが「古今和歌集」です。

歌の良し悪しを判断する絶対者の違いが、同じ三十一文字をして全く違う歌風を生みました。
これはどちらが優れてどちらが劣っているということではありません。
ただ好みの傾向は個々人で生じると思います。

かく言う私はというと… 短歌はどうも苦手です。
主観つまり自分語りの歌は時にナルシシズムで、時に赤裸々な感情をダイレクト歌にします。
これがアラフォーのオッサンにはとっても恥ずかしいものなのです。

例えば「短歌甲子園」。
優秀作品をちょっと眺めて見ただけでも赤面しそうです。
むき出しになった裸の感情は、初々しい高校生などが詠むのに相応しいものです。
→「全国高校生短歌大会(短歌甲子園)

やはり私は和歌が好きですし、みなさまにオススメします。
確かに和歌を楽しむのには、まずそのルールブックである古今和歌集を知っておく必要があります。
英語学習全盛の現代、いまさら日本の古典なんて学ぶの面倒くさいですよね?
ただこのハードルさえ超えれば、楽しいだけの和歌世界が開けます。しかもこのハードルは思っているより相当低いものです。

さらに古今和歌集、和歌だけのルールブックに留まりません。
源氏物語などの文学、書画、能や茶といった芸事、いわば日本美のルールブックというべきものなのです。
→関連記事「古今和歌集とは

つまり古今和歌集を知ることは、日本文化を知ること。
和歌が楽しめるということは、日本文化の深淵が楽しめるということです。

あなたも日本文化の絶対的存在に抱かれてみませんか?
その美しさにと深さに陶酔し、自分なんて小さい存在、案外忘れてしまうかもしれませんよ。

→「わくわく和歌ワークショップ

(書き手:内田かつひろ)


 
「四季を味わうルールブック」~古今和歌集で知る日本文化の基本~

「日本は四季が素晴らしい! 」なんて言葉をよく聞きます。
ではその素晴らしい四季、みなさん堪能していますか?
おそらく大半の方は、春の「お花見」、秋の「紅葉狩り」を楽しむ程度に終始しているかと思います。
しかし本来、日本の四季はもっと多様でもっと深く味わえるものなのです。
それで満足しているなんて、私としては「もったいない」としか言いようがありません。
みなさんが日本の四季を十分に味わえていないのには理由があります。
それは四季ひいては日本文化を鑑賞するための「ルールを知らない」のです。
そして他ならぬこのルールブックこそが「古今和歌集」なのです。

本書では古今和歌集の四季(春夏秋冬)歌に焦点を絞り、分かりやすく解説しています。
これをご覧いただき、日本の四季を堪能するための「基本ルール」を身に付けていただければ幸いです。


 
書籍版「百人一首の歌人列伝」

平成和歌所から本が出ました。その名も「百人一首の歌人列伝」!
百人一首は歌ではなく「歌人を楽しむ」ものです。厳選した百人一首二十歌人の面白エピソードと代表歌をぜひ知ってください。
これを読めば「はるか昔にいた正体不明のオジサン」だった歌人たちが、グッと身近に感じられることでしょう。
そして本書を読み終わった後、あらためて百人一首を一番から眺めてみてください。
王朝の歴史絵巻が紐解かれ、つまらなかったあの百首歌たちが息吹を宿し、断然おもしろく感じられるはずです。


わくわく和歌ワークショップ
 
はじめての古今伝授と連歌会

平成和歌所では、誰でも歌を楽しめる「あさぎいろ連歌会(Word Association Game)」を行っています。日本語の「ことばあそび」を存分に楽しみましょう。