「平安時代のお坊さん」というと、どんなイメージを描きますか?

五つの「心願」を立て、それが叶うまで山を下りないと誓い、後に天台宗の開祖となった「最澄」。
→「天台宗の歴史

「往生要集」を起こし、浄土教の思想の礎のみならず文学思想へも多大な影響を与えた「源信」。
既存の仏教集団に迫害され流罪となっても専修念仏を貫いた浄土宗の祖「法然」。

例えば彼らには、衆生をくまなく救おうという敬虔で立派なお坊さん像を抱かされます。

がしかし!
和歌に登場するお坊さんで、こんな方は皆無です。

百人一首の歌を見てください。
そこには13人のお坊さんが名を連ねていらっしゃいますが、
いわゆる「立派なお坊さん」らしいのはこの方ひとり。

「おほけなく うき世の民に おほふかな わがたつ杣に 墨染の袖」(前大僧正慈円)
身のほどもわきまえず、比叡の山に住みはじめた私の墨染めの袖(僧衣)で浮世の民を守ってやりたい。

多くは自らの隠遁生活の寂しさを嘆くのみ…
「八重むぐら しげれる宿の さびしきに 人こそ見えね 秋は来にけり」(恵慶法師)
「さびしさに 宿を立ち出でて ながむれば いづくもおなじ 秋の夕ぐれ」(良選法師)

あまつさえ色恋にうつつを抜かしている坊主だっているのです。
「今こむと いひしばかりに 長月の 有明の月を まちいでつるかな」(素性法師)
「夜もすがら 物思ふころは 明けやらで 閨のひまさへ つれなかりけり」(俊恵法師)

しかもそれが女になりきった、艶のあるいい恋歌…
現代の感覚で言ったら不謹慎な「生臭坊主!」なんて言われかねませんね。

この生臭の筆頭が、だれあろう今回の主役「僧正遍照」です。

遍照は六歌仙および三十六歌仙に挙げられる名うての歌人。同じく三十六歌仙の素性法師は彼の息子です。
祖父は桓武天皇という高貴な出自、俗名は良岑宗貞(よしみねのむねさだ)といい、
恩顧を受けた仁明天皇が亡くなったのを機に出家しました。

ちなみに僧正遍照の「僧正」とは、僧綱という僧官の最上位つまり僧ランクNO.1を意味します。
地位は立派なのですが、歌を見る限りとてもそうは思えないというのが僧正遍照なのです。

ということで、今回は僧正遍照の歌を鑑賞してみましょう。

僧正遍照の十首

一「あまつ風 雲のかよひ路 吹きとぢよ 乙女の姿 しはしとどめむ」(僧正遍照)
遍照と言えばこの歌「あまつ風」ですよね! 百人一首にも採られています。
きれいな言葉に騙されがちですが、これ、ただのエロ親父の歌です。
「ピチピチの踊り子をもっと見てた~い(ヨダレ)」ですからね。

二「花の色は 霞にこめて 見せずとも 香をだに盗め 春の山風」(僧正遍照)
花の色は見えなくても、せめて香りを盗んで来い! 春の山風よ。
坊さんが「盗すめ!」なんて言っちゃうのは、けっこう大胆じゃありません?

三「名にめでて 折れるばかりぞ 女郎花 我おちにきと 人に語るな」(僧正遍照)
その名のせいでつい折っちゃったんだからな。俺が堕落したんじゃないぞ!
ってちょっと言い訳がましい遍照。
「女」であればつい反応しちゃうんですね。それが花でも。

四「よそに見て かへらむ人に 藤の花 はひまつはれよ 枝は折るとも」(僧正遍照)
この歌、詞書きには「ある女たちが藤の花見に立ち寄った際に詠まれた」と記されています。
だとするとヤバいですよ、だって女たちが立ち去ろうとした途端… 
「藤の花よ這いまつわって引き留めろ、枝が折れても!」と必死の懇願!
どんな顔をしていたんでしょうね、この時の遍照は…

五「今こむと 言いて別れし 朝より 思ひぐらしの ねをのみぞなく」(僧正遍照)
遍照の恋歌です。今すぐ行くよ~って朝別れてから、一日中泣いてます…
「ひぐらし」に「蜩」が掛かっています。さすがの六歌仙ですから、このくらいの技巧もあります。

六「山風に 桜ふきまき 乱れなむ 花のまぎれに 立ちとまるべく」(僧正遍照)
これは「離別歌」です。
「立ち止まってくれるように、桜よ吹き乱れよ!」なんて、なんだか遍照らしくないカッコイイ歌ですね。

大和物語(第168段)には、出家前の遍照(良少将)のプレイボーイな姿が描かれています。
その一部をご紹介しましょう。

良少将はある女に、「今宵、必ず逢はむ」と約束したのですが、それを本人すっぽかします。
女は一晩中待ち続け「丑三つ」になったのを聞き、良少将に歌を送ります。

「人心 うしみついまは 頼まじよ」
もうあんたには期待しないよ!
「うしみつ」に「丑三つ(時)」と「憂し、見つ」が掛けられています。

やべぇ! と飛び起きた「良少将」はこう返しました。
七「夢に見ゆやと ねぞ過ぎにける」(僧正遍照)
ゴメン…寝過ごしちゃった、、
「ね」に「子(時)」と「寝」が掛けられています。

大和物語にはなんと! かの絶世の美女「小野小町」との関係も描かれています。
小野小町が清水詣でに出かけた折、素敵な読経の声(良少将)がするので、こう呼びかけます。
「岩の上に 旅寝をすれば いと寒し 苔の衣を われに貸さなん」(小野小町)
ああ寒い、苔の衣(僧衣)を貸してくださらない?

そこですかさず良少将は、
八「世をそむく 苔の衣は ただ一重 かさねばうとし いざふたり寝む」(僧正遍照)
よっしゃ! 二人で寝よ寝よ~!!

や、やばいですね。
これは色好みを超えて、色狂いです。

でも遍照、偉い方々にめっぽう可愛がられます。それも時の帝にです。

九「みな人は 花の衣に なりぬなり 苔の袂よ 乾きだにせよ」(僧正遍照)
出家前、遍照は「仁明天皇」の寵遇を受けていました。
天皇が亡くなったショックから出家したといいますから、よほど深い仲だったのでしょうね。
この歌は喪が明けてみんなは美しい着物に着替えたのに、私はいまだ泣き濡れてばかり。
せめて苔(僧衣)の袂よ乾いてくれ、という歌です。

十「ちはやふる 神や切りけむ つくからに 千歳の坂も 越えぬべらなり」(僧正遍照)
仁明天皇亡き後、遍照は天皇の第三皇子である光孝天皇とも親交を深め、和歌の師となりました。
この歌は光孝院の叔母さんの八十路の賀で歌ったものです。
ところで平安時代の女性の平均寿命は30歳弱だったといいますから、なんともご長寿な叔母さまですね。

ちなみに遍昭は自身七十の賀の折に、光孝院からこんな歌を送られています。
「かくしつつ とにもかくにも ながらへて 君か八千代に あふよしもがな」(光孝院)
とにもかくにも永らえて あたなの八千代の人生を目にしていたい。
天皇からこんなことを言われるなんて、遍昭としては感無量であったでしょうね。
→関連記事「賀歌 ~日本人のバースデーソング~

さて、冒頭でご紹介した最澄の五つの「心願」にはこんな一文があります。

「いまだ理を照らす心を得ざるよりこのかた才芸あらじ。其の二」
仏教の真理を身に付けぬうちは技術、芸術などには手を染めない。

こんなの、遍照にはとても受け入れられないでしょうね…
ただ、高潔な僧だけが衆生を幸せに出来るのではありません。

遍照の歌を鑑賞して、何か気づくことはありませんでしたか?
それは「笑い」です。

俗な事柄で滑稽を誘い人々を笑わせる、これだって衆生を幸せにする手段じゃありませんか!?
いや~遍照、実はすごいお坊さんです。最後に汚名返上! となりました。

(書き手:内田かつひろ)


 
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「日本は四季が素晴らしい! 」なんて言葉をよく聞きます。
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これを読めば「はるか昔にいた正体不明のオジサン」だった歌人たちが、グッと身近に感じられることでしょう。
そして本書を読み終わった後、あらためて百人一首を一番から眺めてみてください。
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