現代において「和歌」は詠むどころか、その単語自体を耳にすることも皆無です。
もしかして「和歌」は文化の絶滅危惧種ではなく、既に絶滅してしまったのでしょうか?
なにせ宮内庁で行われる伝統的な「歌会」においても、歌は「短歌」と記されているくらいですから。

念のため、何度もしつこいようですが「和歌」と「短歌」は180度異なるものです。
明治期になって「和歌」から「短歌」に変わった、というような解説は全くデタラメだと言っていいでしょう。
「短歌」は「和歌」に対するアンチテーゼから、カウンターとして発生したものなのです。その本質が相容れるはずもありません。

「手弱女」vs「益荒男」
「優雅」vs「平俗」
「印象」vs「写実」
「客観」vs「主観」…

とにもかくにも、反発し合う関係です。

そしてこの勝負、「短歌」の方に軍閥が上がりました。
明治という、急進的に欧米化を進めた時代も後押ししたのでしょう。
ただ不思議なのはその潮流が現代も続いていることです。

なぜでしょう。
人々は「優雅」を必要としなくなったのでしょうか?
そうは思えません。

であるとしたら、一つの仮説が浮かびます。
現代は和歌に歌う「自然」を失った、のではないか?

ビルが群生する都市に住む我々にとって、春を告げる「鶯」や秋の憂いを誘う「雁」などの景物を普段目にすることはありません。
季節の変化を知るのは、さしずめ「温度」と「イベント」といったところです。
これでは「和歌」を詠めなくて当然かもしれません。

しかし、殊更に嘆くことはないのです!
「歌人は歌枕によって名所を知る」という言葉があります。
平安歌人も屏風絵や庭園など作り物や創造の風景によって歌を詠んでいたのです。
平安京という大都市に住んでいながら、噂に聞く「逢坂の関」「吉野の桜」「富士の煙」を歌にしていたのだから、我々との感覚に大差はないのです。

そして、春には「桜」、秋には「月」が変わらずあり続けている。
これで十分、平安歌人と繋がっているではありませんか。

結論、やはり今でも耽美を求める「和歌」は詠めるのです。

(書き手:内田かつひろ)
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