【百人一首の物語】四十六番「由良の門を渡る舟人かぢをたえゆくへも知らぬ恋の道かな」(曽禰好忠)
四十六番「由良の門を渡る舟人かぢをたえゆくへも知らぬ恋の道かな」(曽禰好忠) 「ギャップ萌え」はわりとあることですよね。たとえば人前では辛く当たるのに、二人きりになると甘えてくる恋人とか、ツンデレですね。ではこんなギャッ...
四十六番「由良の門を渡る舟人かぢをたえゆくへも知らぬ恋の道かな」(曽禰好忠) 「ギャップ萌え」はわりとあることですよね。たとえば人前では辛く当たるのに、二人きりになると甘えてくる恋人とか、ツンデレですね。ではこんなギャッ...
小澤盧庵が唱える歌は、「ただごと歌」というものです。「ただごと歌」という言葉は「古今和歌集」の仮名序に見えて、著者の紀貫之は、「中国の詩には六義の風体があるが、わが国の歌にも同じく六種の体がある」と説明し、「ただごと」と...
真淵の事業は江戸においてなされ、門流は諸方に散り、和歌の上では、橘千蔭、村田春海などが、やはり江戸において活躍しました。当時の文化の中心はもちろん江戸でしたし、しかもそこには新興の元気と自由がありました。新風をおこす上で...
四十五番「あはれともいふべき人は思ほえで身のいたづらになりぬべきかな」(謙徳公) 「謙徳公」というのはいわゆる諡号です。貴人が死後、生前の行いを尊んで贈られた名前ですから、よほどのエリートだと思いましたが、なるほど...
方便とみた万葉集が目的となってしまったということは、言いかえると万葉集のうちに彼自身を見出したということです。では真淵のみた万葉集の和歌はどういうのであったか。彼は晩年に「歌意考」という歌論を発表しています。これは彼の歌...
「○学園(まるがくえん)」とは知人の松島さんが運営している、気軽で愉快で多国籍なオンライン学園です。そんなファンキーな場所でこのたび、「百人一首学級」をはじめることになりました。 「歌塾」でも百人一首を学んでいますが、「...
江戸時代の和歌革新に働いた人は多くいるでしょうが、それらの人々を代表する働きをした人は二人、すなわちひとりは「賀茂真淵」、ひとりは「香川景樹」です。この二人の仕事はいかにも際立っていて異論を挟む余地はないものでしょう。 ...
四十四番「逢ふことの絶えてしなくはなかなかに人をも身をも恨みざらまし」(中納言朝忠) 朝忠は名のとおり“中納言”ということでかなりのお偉方。父は二十五番、三条右大臣定方であるので、なるほどこの世は血筋こそがものをいうとい...
公家の手のうちのものとなって、今まさに滅びてしまおうとしていた和歌は、江戸時代に甦ります。それは誰あろう、武士という新階級の手によるものでした。 甦ったというのは和歌に新しい解釈を加え、新しい標準を立てて、これを新しい意...
四十三番「逢ひ見てののちの心にくらぶれば昔はものを思はざりけり」(権中納言敦忠) 平安時代にホストがいたら、間違いなく彼がナンバーワンです。光源氏? 昔男こと在原業平? いえ違います、藤原敦忠です。 敦忠はかの時平の三男...
定家の子孫は連綿として続くには続きましたが、何百年となく精神力の萎縮した状態でのみ生きてきたので、これはという人は出ませんでした。たまにはやや優れた人はあったようですが、祖先には比ぶべくもない程度の人でした。それらの人は...
和歌というと万葉集の成った奈良時代から貴族文化華やかかりし平安時代、ちょっと足をつっこんで鎌倉時代のものばかりが語られますが、和歌史を俯瞰すれば江戸時代こそ際やかなる特色をもった時代であったことがわかります。 江戸時代と...
四十二番「契りきなかたみに袖をしぼりつつ末の松山なみ越さじとは」(清原元輔) 詠み人の元輔は三十六番清原深養父の孫、六十二番清少納言の父です。梨壺の五人にも選ばれ、勅撰集にはなんと百首以上が採られていますから当代きっての...
今回はよりマニアックに、「寿」の甲骨文字について迫ります。 またうっちーからは「寿」ならぬ「言祝ぐ」歌をご紹介しています。 お楽しみください。 ■放送でご紹介した和歌 左大臣橘卿を寿(ほ)くために預め作る歌一首 「いにし...