【百人一首の物語】六十五番「恨みわびほさぬ袖だにあるものを恋にくちなむ名こそおしけれ」(相模)

六十五番「恨みわびほさぬ袖だにあるものを恋に朽ちなむ名こそ惜しけれ」(相模) 「生老病死」、これらは人生に横たわる恐怖の根源といえるものですが、それにもまして平安貴族が恐れたものがあります。なにか? それは“人のうわさ”...

【百人一首の物語】六十四番「朝ぼらけ宇治の川霧たえだえにあらはれわたる瀬々の網代木」(権中納言定頼)  

六十四番「朝ぼらけ宇治の川霧たえだえにあらはれわたる瀬々の網代木」(権中納言定頼) この歌、実は革新的な一首です。和歌とは本来、人の心を種としてよろずの言の葉になったものですから、自然風景に託されて人間の心情、思いの丈が...

【百人一首の物語】六十三番「今はただ思ひ絶なむとばかりを人づてならで言ふよしもがな」(左京大夫道雅)

六十三番「今はただお思ひ絶なむとばかりを人づてならで言ふよしもがな」(左京大夫道雅) 左京大夫道雅(藤原道雅)は藤原伊周の長男、五十四番の儀同三司母は祖母にあたります。百人一首を見まわした時、歴史的に先行するはずの前歌の...

【百人一首の物語】六十二番「夜をこめて鳥のそら音ははかるともよに逢坂の関はゆるさじ」(清少納言)

六十二番「夜をこめて鳥のそら音ははかるともよに逢坂の関はゆるさじ」(清少納言) 清少納言とえば五十七番の紫式部とともに平安時代の著名な女房であり、互いのライバル関係が古典的な語り草となっていますよね。しかし、じつのところ...

【百人一首の物語】六十一番「いにしへの奈良の都の八重桜けふ九重ににほひぬるかな 」(伊勢大輔)

六十一番「いにしへの奈良の都の八重桜けふ九重ににほひぬるかな 」(伊勢大輔) 当意即妙の歌のやりとり、和歌のダイナミズムを知れるのは以外にも!? 女房歌人の歌だったりします。百人一首では六十番台前半の小式部内侍と伊勢大輔...

【百人一首の物語】六十番「大江山いく野の道の遠ければまだふみもみず天の橋立」(小式部内侍)

六十番「大江山いく野の道の遠ければまだふみもみず天の橋立」(小式部内侍) いつの時代も、イヤミな男は嫌われますね。歌合せに招かれることになった小式部内侍、そこにある男が現れます。その名は藤原定頼、こいつはご丁寧にも「歌は...

【百人一首の物語】五十九番「やすらはで寝なましものをさ夜ふけてかたぶくまでの月を見しかな」(赤染衛門)

五十九番「やすらはで寝なましものをさ夜ふけてかたぶくまでの月を見しかな」(赤染衛門) あなたが来ないことを知っていたら、ためらわず寝てしまったものを。ほれこのとおり、夜明けの月を見るまで待ってしまいました。和歌で夜明けに...

【百人一首の物語】五十八番「有馬山猪名の篠原かぜ吹けばいでそよ人を忘れやはする」(大弐三位)

五十八番「有馬山猪名の篠原かぜ吹けばいでそよ人を忘れやはする」(大弐三位) 大弐三位は紫式部の娘です。この後のラインナップをみると登場がちょっと早いんじゃないかと思いますが、定家は母の後につづいて娘を配置しました。実はこ...

【百人一首の物語】五十七番「めぐりあひて見しやそれともわかぬまに雲がくれにし夜半の月かな」(紫式部)

五十七番「めぐりあひて見しやそれともわかぬまに雲がくれにし夜半の月かな」(紫式部) 和泉式部を「けしからぬ方」と評した紫式部は、彰子後宮の同僚でした。いわずもがな、紫式部は「源氏物語」の作者でありますが、このような歴史的...

【百人一首の物語】五十六番「あらざらむこの世のほかの思ひ出に今ひとたびの逢ふこともがな」(和泉式部)

五十六番「あらざらむこの世のほかの思ひ出に今ひとたびの逢ふこともがな」(和泉式部) 博識の誉れをほしいままにした公任が絶賛した当代歌人がいます、だれあろう和泉式部です。五十九番の赤染衛門と並び評されることもありますが、後...

【百人一首の物語】五十五番「滝の音は絶えて久しくなりぬれど名こそ流れてなを聞こえけれ」(大納言公任)

五十五番「滝の音は絶えて久しくなりぬれど名こそ流れてなを聞こえけれ」(大納言公任) とっくの昔になくなった滝とその水音、でもその名声は流れ伝わって今も聞こえてくることだ。千載集の詞書でこの滝が「嵯峨大覚寺」の旧跡であった...

【百人一首の物語】五十四番「忘れじの行く末まではかたければ今日をかぎりの命ともがな」(儀同三司母)

五十四番「忘れじの行く末まではかたければ今日をかぎりの命ともがな」(儀同三司母) また恋の歌、そしてまた誰かの母ちゃんの歌です。儀同三司とは准大臣の唐名、その人は「藤原伊周」なのですが、どうでしょう「伊周」って読めました...